マケドニア・オフリド湖上からみる聖ヨハネ・カネオ教会
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MACEDONIA ALBANIA
マケドニア旧ユーゴスラヴィア共和国 面積 九州の約三分の二 人口202万人首都スコピエ 共和制 マケドニア人が半数以上次いでアルバニア人トルコ人 マケドニア正教が7割 他イスラム教3割 マケドニア語、アルバニア語トルコ語を話す人も多い。文字はキリル文字 |
マケドニアとはマケドニア共和国に加えギリシャの内陸部とブルガリアの西部を含んだ広域な地域名で、特にギリシャでは古代アレキサンダー大王の帝国を連想させることからマケドニアという名称を使っていることにギリシャなど他国が強い嫌悪感を示している。 マケドニア人は民族的にブルガリア人であるとの認識が広く持たれている。 |
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聖ソフィア大聖堂 11世紀建造オスマン朝時代イスラム寺院に転用、フレスコ画は塗りつぶされたが第二次世界大戦後キリスト教会、フレスコ画も復旧された |
聖クリメント教会とイコン博物館 13世紀末創建(もとは聖マリア教会)Sv.Bogorodica Perivleptos(マケドニア語ラテン文字)Church of The Holy Mother of God Perivleptos(英語) |
Monastery of St.Kliment of Ohrid and St. Pantelejmon 2002年再建 |
アルバニア共和国 面積四国の約1.5倍 人口313万人 首都ティラナ 共和制 アルバニア人が大多数イスラム教7割 アルバニア正教2割 カトリック1割 いずれも戒律は緩やかで共産主義時代は一切の宗教活動を禁止されていたため現在も特定の宗教を持たない人が多い。 |
鎖国政策をとってきたアルバニアはヨーロッパで最も謎に満ちているといわれる国。長い間ベールに包まれてきたその姿はまさにバルカンの秘境と呼ぶにふさわしい。 |
アルバニア人は8世紀にスラヴ民族がバルカン半島に移住してくる以前にこの地に広く住んでいたイリュリア人の末裔といわれている。ローマ帝国、ビザンツ帝国、ブルガリア帝国、セルビア帝国、オスマン朝、と常に大国の支配を受け続けてきた。1997年のネズミ講事件により経済が破綻、国中が大混乱に陥った。 |
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ジーロカストラ(ギロカスタル)ドリノ川渓谷を見下ろす山裾に開けた町。オスマン朝の統治時代はアルバニアの南部の行政、通商の中心として栄え多くの邸宅が建てられた。世界遺産 |
Shen Meria Vllahema-The church of Saint Mary Blachernae 13-14世紀 |
ドゥラスの起源は紀元前7世紀ギリシャ人の植民市までさかのぼる。バルカン半島を横断するエニャティア街道の起点として重要な役割を果たした。現在も重要な港町 |
ジャーミア・エトヘム・ベウト(エザム・ベイ・モスク)と時計塔 スュレイマン・パシャの子孫により1793年から1821年にかけて建造。塔は1928年建造 |
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